( 出光産業のバンビー号 )

 今から60年以上も昔のことです、昭和30年頃にスクーターやオートバイの免許で乗れる四輪自動車(軽自動車)の開発競争が始まり、幾つかのメーカーが軽四輪車の試作を開始しました。
 トップを走っていたのが現在の「スズキ自動車」が開発していた「スズライト」、それを数社が追っていました。
 これはその中のひとつ、福岡の出光産業(今の出光興産の兄弟会社、当時消防自動車などを販売していました)が製造した「バンビー号」の記録です。
 エンジンを岡山のエンゼル内燃機関が、車体を尼崎の三友産業が製作、福岡の仮ナンバーを付けてスズライトにわずかに遅れて型式認定を取り街を走り出しました。しかし、生産を開始した直後に出光産業が倒産し、わずか十数台を製造しただけで姿を消しました。歴史に残れなかった黎明期の軽自動車の姿です。


軽自動車バンビー号 エンブレムにバンビと表示されています、後部に吸気孔が見えています 昭和30年12月に出光産業が販売開始


エンジントラブル 不完全燃焼? オイル上がり?


356cc空冷V90度2気筒エンジンの連続負荷試験


エンジン本体は左端、右端は負荷用発電機 最大出力10馬力 


完成したエンジンの出荷姿 設計は戦時中航空機のエンジンを手掛けていた技術者です


エンジンを造ったのは岡山市桑田町の町工場


左から二人目がエンゼル内燃機関社長


軽自動車バンビー号 シャーシにエンジンを載せただけの試作車


リアエンジンです


軽自動車バンビー号 ボディ(上部)を載せて完成した試作車 出光産業があった福岡のナンバーです


前方に方向指示器が付いていません、黎明期の軽自動車には必須ではなかったようですが後の製品には付けられたようです


二人乗り、リアエンジンで荷物は前部に入ります 撮影場所は旧岡山県庁商工部前


軽自動車バンビー号 これは宣伝パンフレット用の写真とモデル


軽自動車バンビー号

 この不運な軽自動車バンビー号は出光産業倒産後、尼崎の三友産業が引き取りエンゼル号と名前を変えて販売することになりましたが、資金繰りが付かず、売れ残りの数台をエンゼル号として売っただけで歴史から消えてしまいました。
 値段は米国の千ドルカーを意識して30万円台を狙っていたようですが、実際には40万円を超えたようです。

 

  

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