昭和40年頃の岡山の風景

 

4 旭川の流れ


昔の鶴見橋 (昭和39年8月10日)


鶴見橋から見た後楽園入り口 (昭和39年7月)


後楽園側から見た鶴見橋、まだ車の数は少なく自転車が主役でした (昭和39年7月)


後楽園側の岸には伝馬船がたくさん係留されていました (昭和44年4月26日)


蓬莱橋を渡った辺りから見た鶴見橋、正面は石山のNHK岡山放送局です (昭和44年4月26日)


山陽本線の鉄橋下の土手から見た後楽園、右が鶴見橋、真ん中が後楽園、左が蓬莱橋です (昭和39年8月10日)


鶴見橋から上流を見た風景、国鉄山陽本線の鉄橋の向うは金山、まだ新幹線は出来ていません  (昭和44年4月26日)


(昭和44年4月26日) 上の写真のズーム、鉄橋の向こうに正織興業の平屋根が見えています


少し下流、岡山神社裏の堤防から見た鶴見橋と後楽園入り口です (昭和38年1月)


昭和29年に完成した月見橋、土曜日午後の河原とボート乗り場は高校生の遊び場でした。まだ天守閣は復元されていません。(昭和30年代後半)


月見橋から上流の眺め、正面少し右の社が岡山神社 (昭和39年頃)


鶴見橋から石山方向、NHK岡山放送局が網浜から移ってきています (昭和44年4月26日)


旭川の旧洗堰、遠方右が京橋、左が中橋、昭和30年代の前半まではここまで石材を積んだ機帆船が上ってきていました
 (昭和40年頃)